| トップページへ戻る |
〜2003年3月3日のJCO刑事裁判・判決の後に〜
水戸地裁 動燃・科技庁を免責し、責任を作業者に転化!
3/3東海村臨界事故刑事裁判判決を批判する
2003.4.1(修正版)
望月 彰(JCO事故調査市民の会)
3月3日判決報告の修正について
3月3日判決・望月報告を一部修正して再掲載します。技術契約書の一部読み違えに気がついたからです。契約書は「ロットは化学的組成と濃縮度の均一な硝酸ウラニル溶液」として、その条件を「濃度は380gU/リットル以下」などと記述しているのですが、「均一」ではなく「以下」だったのかと理解していました。
これは「均一」した結果が380gU/リットル以下であるという意味であると読みとるべきでした。これを修正して報告をします。
1999年9月30日の東海村臨界事故の責任を問う刑事裁判は3月3日の判決によって、終了した。2001年4月23日から23回の公判、24人余の証人の証言があったが、判決はそれらの内容と大きくかけ離れたものであった。
量刑は株式会社JCOが罰金100万円、6人の被告は禁固3年から2年、執行猶予つきであった。
(注) 核原料物質、核燃料物質及び原子炉等規制法違反
労働安全衛生法違反
業務上過失致死
の罪で
株式会社JCOは、罰金100万円
越島建三(東海事業所長) 禁固3年 執行猶予5年 罰金50万円
加藤裕正(同製造部長) 禁固3年 執行猶予4年
小川弘行(製造部計画グループ長) 禁固2年 執行猶予3年
渡辺弘 (製造部製造グループ職場長)禁固2年 執行猶予3年
竹村健司(製造部計画グループ主任) 禁固2年6月 執行猶予4年
横川豊 (製造部製造グループスペシャルクルー班副長)禁固2年 執行猶予3年
JCO弁護団は名を捨て実を取った。執行猶予がついたので笑いを隠せない。さらに喜んだのは動燃・科技庁である。「動燃・科技庁に責任転嫁するな」と言う判決だったからである。福田官房長官は「政府は当事者ではないのでコメントしない」とうそぶいた。
住民被曝者は怒りが深く沈潜した。もっとも苦しい思いは大内さん、篠原さんの遺族であろう。同僚への「減刑嘆願書」の提出は、「お前も犯人だ」と言わんばかりの判決で報われたからである。
水戸地検の冒頭陳述、論告求刑、弁護団の最終弁論はいずれも朝10時から夕方までの長時間の力作であったが、判決は10時に始まって11時半には終わってしまった。事故は軽くあしらわれたような印象である。
判決の最大の特徴はものづくりの中味に立ち入らなかったことである。これによって動燃・科技庁を完全に免責することができた。とりわけ混合均一化の中味には全く触れなかった。何を混合しようとしたのか、どのような均一化が求められていたのか、公判廷で論じられたこのテーマは無視された。そのかわり、<事故に至る経緯>として、裁判所の認める事実経過が詳しく展開された。判決要旨全文のうち、ちょうど1/2を占めている。あとの1/2が<罪となるべき事実><量刑の理由>であるが、これは<事故に至る経緯>を抽象化し、再確認しているだけである。
そしてこの<事故に至る経緯>の最大の特徴は、公判中終始「班員の発意」として隠されていた、沈殿槽使用の核心の人物の固有名詞をついに明らかにしたことである。9月28日「篠原が沈殿槽使用を提案、大内も沈殿槽には攪拌機もハンドホールもあるといって賛成」というのである。
2001年4月23日の水戸地検冒頭陳述は「班員の発意」と表現した。横川被告人質問(2002.2.28)においても「班員」と表現され、裁判長には交代勤務表の如き表が示されて誰であるかわかるが、傍聴席には判らないようになっていた。判決でついに二人の固有名詞を出したのだが、マスコミはほとんど報道しなかった。<事故に至る経緯>を報道しなかったのである。どうしても「事実」を広く知られたくないのだろう。
篠原さん、大内さんが沈殿槽を「発意」!
そこで判決の述べる「事実経過」を要約すると以下の如くである。
1. 平成11年8月頃、横川は渡辺より第9次常陽開始をつげられ、13日より始めると答えた。溶液製造の経験はないが、手順書を見れば判ると告げる。
2. 竹村は8月1日から3日ころ作業指示書(PPS)を作成。ただし、溶解、沈殿、仮焼、再溶解のみで、混合均一化はつくらなかった。
3. 8月6日竹村は作成したPPSの承認を渡辺に求めたところ、渡辺は横川も入れて3人で審査。このとき竹村は混合均一化をクロスブレンディングで行うというので、横川は「現在は貯塔での均一化だ」と指摘。横川は、手順書をみたり、N氏(転換試験棟の前任者、弁護士が匿名希望。事故直後ノイローゼとなる)に聴けばなんとかなると言う。
4. 竹村はPPSの小川の承認を求めた。前回の操業と変わらないと聴き、小川は承認。
5. 横川がN氏に尋ねたのは、濾材の種類、貯塔混合後の抜き取り方など「その場で思いついたことのみ」で、手順書に目を通すことはなかった。
6. 9月9日、横川は大内らに本件操業準備を指示。28日までに7バッチ分の精製完了。
7. これを確認したので、同日混合均一化のための貯塔の準備に入った。
横川は篠原とともに仮設配管を接続しようとしたが、手順書を検討してなかったこともあって、溶液の出し入れにもう一本接続しなければならないことに気が付かなかった。このため溶液の出し入れに多量のスクラップが出る(デッドスペース)し、抜き口も低いし「やりにくい」といって、問題点を指摘した。
8. これにたいして篠原が沈殿槽による混合均一化を提案、大内も賛成した。横川はハンドホールに漏斗使用を提案した。
9. 横川はこれまで沈殿槽が均一化に使用されていなかった理由を「重ウラン酸アンモニュウム等」が沈殿槽に残っていると品質上の問題が生ずるためであろうと考え、希硝酸を一晩沈殿槽に張り込んで充分洗浄すれば、沈殿槽使用可能と判断した。そこで、篠原、大内に希硝酸張り込みを指示、洗浄完了後竹村に承認を求めると2人に告げた。
10. なお、横川は沈殿槽にいくら溶液を入れても、沈殿させなければ臨界にならないと感違いしていた。
11. 9月29日10時30分頃、横川は沈殿槽洗浄が充分できていることを、篠原に確認できたので、正午過ぎ竹村に承認を求めた。
12. 武村は即答せず、昼休み終了後電話で承認した。この際、品質のみ問題が出ないか検討し、あと硝酸ウラニル溶液にアンモニアを吹き込まないよう注意した。沈殿させなければ臨界にはならないと思っていた。
13. 横川は、篠原、大内に沈殿槽に溶液注入を指示、自分も一緒に作業して、4バッチ分完了。
14. 9月30日10時頃大内、篠原は残り3バッチの再溶解を完了。大内はこの溶解液の濾過、篠原は濾過後の溶液をステンレス製ビーカーで沈殿槽に注入、横川は漏斗を支えていた。最後の1バッチ分の溶液を注入する際、大内が濾過作業を完了したので、横川は漏斗の支えを大内に交代、計算作業などのため隣室に移動。10時35分頃、大内が漏斗を支えている状態で、篠原が最後の1バッチ分の硝酸ウラニル溶液を注入した。
以上、判決の最も力を入れて述べている部分(かつマスコミが報道しない部分)を紹介した。これにもとずいて判決は「直接の原因は横川の過失にある。手順書に目を通し,これに従った作業をすることは最低限の職務」「最低限の職務すら怠り、臨界事故を引き起こしたものでその過失はあまりに単純かつ重大なものである。」と断じている。
それではこの「事実経過」のシナリオの真実度はいかほどであろうか。
上記1から14までの「事実」のうち、8、9と11以降は沈殿槽使用の「動機」といえるが、それ以外は消極的「動機」とは言えるかもしれないが、それ以上のものではない。
この間しばしば指摘してきたように、横川−竹村関係は上司と部下ではない。ラインが違うのに仕事上の「許可」や「承認」が発生する事はあり得ない。相談したり、グチをこぼしあったことはありえても、「承認」などはありえない。
また、正午に承認を求めて、1時間後に回答があった、と言うが、普通即答しないのは上司の意見を確認するためである。上司が出張中であったとしても、1時間あれば電話で確認できよう。普通は3分あれば上司の意見は確認出来るものである。
昨年8月、日ハム牛肉偽装事件が発覚したとき、子会社日本フードの愛媛、徳島の営業部長氏はそれぞれ「自分の一存でやりました。本社は関係ありません。」と記者会見した。お家の一大事とあらば命がけでウソをつくのが、このくにの文化である。JCOだけが違うと言えるだろうか。
最も重要な篠原の「発意」について、これが「工程の変更」であることに注目しよう。提案改善やQCは、作業者が自分の担当している機械や設備の改善について行うものであって管理職のテリトリーには、間違っても口出ししないものである。上司の面子に抵触するほど、馬鹿馬鹿しいことはない。実際、クロスブレンディングから改造貯塔への変更は加藤製造部長の指示でおこなわれた。最高級管理職の担当分野であった。
ようするにこれらのシナリオは、当事者以外に正しいことを証言する人も居ないし、証拠もない。「発意」の場合は片方の当事者は既にこの世の人ではない。
根本的に疑わしいのは、情報操作していることである。「篠原さんの発意は3年半」隠されていた。上記7の「品質上の心配」というのも、「不純物の心配」と公判では表現されていたのに、具体を抽象に表現し直した。
科技庁の許認可についても、84年に「混合均一化」が承認されているかのごとく印象ずけるように、文章をつくっている。
というわけで、根本的に疑問だらけであるが、真実は当事者達が語る日まで待ちたいと思う。
ただし、ひとつだけはっきりしていることがある。これは労働災害であった。作業者・担当者が仕事をしなければ発生しなかったことである。判決は作業者担当者が行為したことのみをとりあげて、犯罪を立証したのであるが、仕事をしたものが「犯人」であるというのであれば、あらためて裁判などする必要はなかった。仕事をしたものは誰か、わかっていたのである。そして作業者・担当者ははじめから謝罪していた。謝罪している者が「犯人」だというのであれば、権威を代表するものにとっては、都合がよいかも知れないが、事故の原因は闇に葬られる。これでは正義を体現すべき司法は、自ら死んだに等しいのである。
事故の原因は分析の効率化!
というわけで、判決の「事実経過」は疑問だらけであるが、百歩ゆずって全て真実だったとしよう。それでも事故の原因を死者や被告達に負わせるのは間違っている。なぜなら、この事故は動燃の無理な注文と科技庁の無責任な安全審査の結果であることが、公判廷で明らかにされているからである。そこで今一度事故の原因を確認しつつ、作業者達の行為は「契約書」と「許可条件」通りであったことを論証しておくことにしよう。私は作業者・担当者の行為は全面的に弁護したいと思う。事故後に彼らが語ったとされることには疑問もあるが、そのことと彼らが為した「仕事」とは区別されねばならないであろう。
さてこの事故はものづくりの過程で起きた。何を如何に作ろうとしていたのか、このことを確認せずに事故の原因を語ることはできない。判決は慎重に、しかし徹底的にこのことを避けたのであるが、公判で明らかになったことを整理すると、以下の如くである。
2002年10月21日、JCO弁護団は最終弁論において核心部分を明らかにした。
「JCOは1986年の最初の硝酸ウラニルの契約にあたって、臨界管理を考慮して1バッチ1ロット(6.5リットル)を主張したが、動燃が分析の期間短縮を求めて1ロットの増量を要求し、1ロット約7バッチ(40リットル)となった。」
臨界事故は硝酸ウラニル溶液を、ウラン精製施設の沈殿槽に、7バッチ(約40リットル)投入したときに発生した。この投入の目的は溶液の混合均一化であった。臨界管理のためには1バッチずつ作製すべきところなぜ7バッチも同時に取り扱ったのか、この答えが上記の契約の経緯である。この事実は福島瑞穂議員による内閣府との文書による質疑によっても確認された。
ウランは少量ずつ作り、少量ずつ輸送し、少量ずつ保管しなければ臨界になる。であるのに、JCOから動燃にトラック輸送するとき、原子炉等規制法にきめられた分析を10回すべきところ1回で済ませたい、と動燃は無理難題を要求した。少量ずつ(4リットル)10ヶの通称ミルク缶に小分けした硝酸ウラニルの分析を10ヶそれぞれ実施すべきところ、1回で済ませるには、混合均一化すればよい。
これは1バッチ縛り違反そのものであった。臨界管理のために小分けしてあるものを、わざわざ混合しろといったのは、動燃だった。この「この単純かつ重大な」過失は判決では無かったことになった。「輸送のウルトラC」と呼ばれた動燃とJCOの隠語があった。その意味が何か、不明瞭のママ今日にいたったのであるが、このことをさしているのかも知れない。しかし、ここで重要なことは、JCOが臨界安全管理上正しい提案をした(1バッチ1ロット)にもかかわらず、動燃が無理難題を押し付けたことである。このことは昨年10月21日に初めて明らかにされたのである。3年間隠されていたのは「国家による犯罪」と言えないであろうか。この最も重要なことが、原子力安全委員会の事故調査委員会(吉川弘之委員長)の最終報告書に記されていないのは、「隠匿の罪」にあたらないであろうか。
このことが事故の直接の原因である。7バッチ(約40リットル)の硝酸ウラニル溶液を混合均一化した理由は契約そのもののなかにあった。作業者は契約に忠実に仕事をしただけであった。であるのに、混合均一化の契約を強要した動燃は無罪で、均一化を実施した作業者は有罪だというのは、法の下の平等を踏みにじるものである。
このことが事故の原因の核心部分である。しかしながらこの「単純な過失」が長年何故みすごされてきたのか。もう一歩中味に立ち入って見ておかなければならない。
「硝酸ウラニル溶液の混合均一化」というのは、具体的にはどういうことか。最終報告書は「ウラン濃度の均一化」と説明していたのである。
これを額面通りに理解すると動燃も科技庁もJCOも小学生にも劣るポカをしていたことになる。ウラン濃度の均一化であれば、混合する必要はまったく無かったからである。
4リットルずつ10ヶの硝酸ウラニル溶液が求められていた。ウランを1480.0gずつ10ヶ計量し、硝酸に溶かしてそれぞれ4リットルにすれば、濃度370gU/リットルの均一な10本の溶液が得られる。こんなことも知らずに契約していたのであろうか。動燃も科技庁も小学生以下のレベルだった、と判断して、これが事故の原因のそのまた原因であったと考えることも可能である。これでもいいのだが、わたしはもうすこし複雑なシナリオがあったと推理している。
というのは、動燃とJCOの技術契約書には「濃度の均一化」とは書いてなかった。契約書は「ロットとは、化学的組成及び濃縮度の均一な40リットル」と指定されていたのである。ここで濃縮度の均一とは支給品使用(軽水炉用原料を混入させない。)という意味であると、槌田敦さんに教えていただいた。問題の化学的組成については以下の3点が求められていた。
(1)ウラン濃度は380gU/リットル以下。1986年の最初の契約では(350gUプラス・マイナス30gU)/リットル。
(2)遊離硝酸は0.5N以下。
(3)不純物:銀、鉄、銅、フッ素他15種類について0.3ppmから100ppm以下。
以上のことも、10月21日の最終弁論にて、明らかにされた。JCO弁護団は、「混合均一化する必要性はウラン濃度だけではなかった」ことを曝露したのである
そこで事故の原因を考えるためには、われわれは推理しなければならない。(1)のウラン濃度はすでにみたように、均一のための混合は必要ない。(2)の遊離硝酸も同様の処理が可能であろう。
ところが(3)の不純物だけは、些か複雑である。不純物は入れようとして入ったものではない。しかもppm(100万分の1)レベルの管理を求められていた。4リットルずつ10本の硝酸ウラニル溶液がある場合、1本目の容器(4リットル)には銀が1ppm、2本目の容器(4リットル)には2ppmというレベルのばらつきも許されないのであれば、容易ではない。実際には銀は0.5ppm以下と指定されていたので、契約条件を満たすためには、4リットル容器10ヶのばらつきの範囲は例えば(0.4プラス・マイナス0.05)ppmであることが要求されていたのである。
それではこのような意味の混合均一化は如何にして可能であろうか。JCOはまずクロスブレンディング、次に改造貯塔、最後に沈殿槽を使った。クロスブレンディングはN氏証言によれば、「均一化できなかった。」500mlメスシリンダーで10本の空容器に分配して行く方法は、「60回,70回と中腰でいったり来たりせねばならず、きつかった。」
容器と容器の間隔を40センチ確保して、臨界管理していたのであるが、知らない人がきて「手伝おう」として、40センチの間隔を0にする可能性もありうるのだから、臨界管理上も問題があった。
だから改造貯塔による混合均一化に変更したのは、当然といえよう。しかしこの方法も混合均一化できたであろうか。貯塔は直径17センチ、高さ3.5メートルの筒である。この筒の上下を管で繋ぎ、円環状にして、チッソを吹き込んで攪拌した。わたしはこれではとても均一化できなかったと推理する。不純物は数珠繋ぎのように管の中を回っているだけでなかったか。N氏は「うまくいった。」と証言しているが、クロスブレンディングよりはマシな程度だったかも知れない。最終報告書は「攪拌に200分を要し」作業性が悪かったと指摘している。40リットル程度の溶液の攪拌に200分もかかるというのは、技術的に無理と判断するのが常識であろう。許容範囲プラス・マイナス0.5gレベルの均一化であればなんとかなったかも知れないが、ppmレベルでは不可能だったのではないのか。
だから、攪拌機のついている沈殿槽にたどりついたと推理すれば、極めて解りやすい。どうしても混合し、ppmレベルの均一化をもとめるのであれば、唯一の方法は沈殿槽しかなかったわけである。
許可条件に忠実であった沈殿槽の使用!
不純物がかくも重大な問題となったのは、硝酸ウラニル溶液作製の許可条件にあった。1984年の許認可において、動燃は吉田守氏を科技庁に出向させ、審査官としてこの許認可を取り仕切った。越島証言によれば、安全審査ではなく「ワクドリ」であった。この申請書はA4で70ページに及ぶものであるが、その冒頭部分に次のように記してある。
「転換試験棟の化学処理施設は6弗化ウラン、スクラップ又は、イエローケーキから酸化ウラン粉末又は硝酸ウラニル溶液を製造するものである。」
ここに確かに「硝酸ウラニル溶液」と書いてあるが、この言葉は2度と出てこない。そもそもこの申請書は8酸化3ウラン粉末の精製施設の加工許可申請書であった。70ページは精製施設の説明書であった。それなのに冒頭に一言「硝酸ウラニル溶液」と書き込んで、ワクドリしたのであった。溶液の濃度、不純物レベルなど具体的なことは「何も決まっていなかった」(越島証言)。この施設には溶解塔、抽出塔・逆抽出塔、貯塔、沈殿槽があったが、溶液をどこで造るか、何も書いてない。粉末のことしか書いてなかったのである。
しかしこれは大失敗であった。というのは、これは精製施設だったので、不純物が塔や槽のなかに残るのである。塔や槽の中に不純物が残れば残るほど精製が成功しているわけである。かくしてせっかく精製して不純物を取り除いた8酸化3ウラン粉末を、またこの塔の中に戻すということは、不純物の中に戻すと同じことになる。なんという愚かなものづくりであろう。N氏証言によれば、溶解塔で溶解するには、3日間洗浄しなければならなかった。バケツ溶解なら不純物ははじめから入っていないのだから、問題なかったのであるが、精製施設を使うと不純物の混入が避けられなかった。もんじゅ裁判ではないが安全審査とは名ばかりで、無責任極まりない許認可業務であった。
硝酸ウラニル溶液はまず8酸化3ウランを硝酸に溶かし、つぎに混合均一化して完成である。その方法がめまぐるしく変化したのは、以下の如く推理可能であろう。
第1回目(4次常陽1986年)は溶解塔で溶解し、クロスブレンディングで混合した。
予想外の不純物に困惑したのであろう、5次常陽(1988年)は溶液製造を中止している。6次常陽(1993年)はバケツ溶解に変更、クロスブレンディングした。不純物は解決したが、クロスブレンディングは作業負荷が大きく、臨界の危険性が残っている。そこで7次常陽(1995年)は貯塔改造による「混合均一化」に転換した。いわゆる裏マニュアルである。翌年の8次常陽(1996年)も続けておなじ方法で作ったが、貯塔を使うと再び不純物が混入したのであろう。「均一化」に苦労したのではないか。これを解決しようとして、ついに1999年(9次常陽・臨界事故)の沈殿槽の使用に辿り着いてしまったのではないだろうか。
この一連の製造方法の変更はいずれも無届けであったので「違法」である。が、1984年の許認可からみれば、「合法」である。「溶液は精製施設でつくる」とのみ記されているのであるから、どの塔や槽を使おうと許可通りなのである。
福島瑞穂第1質問への政府回答のなかに(2002年10月9日)クロスブレンディングのみ合法である理由として、1984年の許可のなかに「貯蔵は許可されていた」ので「合法」であるという説明があった。クロスブレンディングは「混合すると言う作業」である。貯蔵と言いくるめるのは、安っぽい詭弁である。
そもそも混合均一化は1984年の許認可の2年後に浮上したのである。あらためて許可申請すべきところ、クロスブレンディングも無届けで実施した。動燃も科技庁もJCOも解っていて無届け処理したのである。
というわけで、水戸地裁の今回の判決(水戸地検の冒頭陳述も)は、溶液づくりは「溶解塔使用が許可」されていると解釈しているが、事実無根のでっち上げ、苦し紛れの強弁であった。まして横川さんが「裏マニュアルも読まずに沈殿槽を使った」のは「単純かつ重大な過失」というのは、はなはだしい言いがかりであった。単純かつ重大な過失は「精製施設で硝酸ウラニル溶液をつくる」と言う許可をした政府であり、混合してはいけないウランを40リットルも混合する契約を強要した動燃なのである。判決は臆面もなく「国の責任を問うとは、責任転嫁だ」と弁護団を批判したが、恥知らずにも程があるというべきであろう。
事故の原因の背景は権威主義と生産第一主義
判決批判は以上であるが、事故の原因の背景について指摘しておきたい。
事故は動燃の無理な注文と科技庁・安全委員会の無責任な安全審査の相乗効果で発生したのは、詳述したとうりである。ではなぜ、このようなデタラメがまかり通っていたのか。
まず動燃の無理な注文についてみると、弁護団の最終弁論は「1986年の最初の注文を受けて、JCOは臨界安全管理を考慮して1バッチ1ロットを主張した。」とはっきり述べていることに注目しよう。1ロットを40リットルにするのは危険であることを、JCOは100%知っていたのである。にもかかわらず、動燃の要求を飲んだのは、「お上は説得できない」と判断したからである。相手が間違っていても、間違いだとは言えないのが、国策会社の世界である。動燃も科技庁も自分が一番エライと思っていて、下々の意見など関知しない。上下関係が腐っているのは、メーカーにいるものであれば、誰でも経験済みであろう。
1984年の許認可については、大泉実成さんの「創」誌上(2001年12月号)の報告がある。精製施設で溶液をつくる「加工許可」の申請を出すよう促したのは、動燃から科技庁に出向して審査官を務めた吉田守氏であった(2001年10月15日証言)。「JCOはいつまでたっても具体案をもってこないので、腹が立った」「生産に間に合わせるためにはもう待てないと判断し、作業フローを一緒に見ながら、1バッチ縛りを提案したら、JCOはそれを文章化して申請書を出してきた」と吉田氏は証言している。JCOは精製施設で「1バッチ縛りを実施」というのは空想に等しいことを熟知していた。許認可においてもJCOは「間違った許認可」であることを、承知の上で「許可」を受けた。実際のものづくりは「許認可通り」ではできない。実際のものづくりはだましだまし、いろいろ試してやるしかない。
硝酸ウラニル溶液は精製施設ではできない。バケツならば不純物も入らず、1バッチ縛りも完全に実施でき、安全管理も充分である。ただし、バケツは違法であり、一方法律通り実施するとものずくりできない。バケツ使用を申請すれば良かったのであるが、これはお上の面子に抵触する。だから、お上が間違っていて、自分たち(バケツ使用を実施している)が正しいと完全に自覚していれば、事故は無かったであろう。しかし、バケツはやむを得ざる選択だと思っていたので、正しいものずくりを貫徹できなかった。これが国策会社の現場にはびこる権威主義の病である。
さらに重傷なのが生産第一主義の日本病だ。嶋内前所長は「混合均一化をJCOで行うような契約は断ればよかった」と証言した(2002.9.19)。判決もまさに「契約拒否の選択肢もあったのに」それをしないで動燃・科技庁の責任を問うのは「責任転嫁だ」とJCOを叱りつけた。大量生産、大量消費、大量廃棄の時代の精神の病は「絶対に生産だけは止められない」という脅迫観念であった。どんな無理なことでも「とりあえず受注して、あとからなんとかする」という企業活動が常態化していた。競争原理(市場原理)の埒外にある企業では、とくに「だまし騙し処理する」のが当たり前のようになった。ものづくりのモラルは腐りきっている。至る所の企業にはびこっている日本病である。
判決は動燃と科技庁を免責することによって、この腐った現実にフタをした。司法の正義は地に落ちたというべきであろう。
「JCO刑事裁判・判決の前に」(2003年1月12日、望月彰)へ
| トップページへ戻る |