51 検証 これがごみ問題のすべてだ 〜真の循環型社会をめざして〜
2001年10月 大久保貞利 32ページ 400円
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| 6.最終処分場の問題点とは何か |
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| いま最終処分場は逼迫状態にある。各地で汚染実態が知れ、「処分場は環境汚染の元凶」であることが広範に知られるようになり、その地域の住民が建設計画を知るや否や反対運動が起こるからです。 では処分場はどこが問題なのだろうか。 まず第一に「最終処分」という言葉自体が傲慢で非科学的です。廃棄製品等は捨てる段階ではそれほど汚なくない。それが中間処理や処分場で他のごみとごちゃまぜになり、風雨にさらされ、ごみの重み等の圧力から化学変化して腐敗する過程で悪臭を出したり汚水となって“汚なく”なるのです。つまり、処分場に埋め立てられてから本格的化学変化が始まるのでありとても「最終処分」と言えるものではないのです。したがって大地が環境汚染を一手に引き受けることになるのです。 第二に、廃棄物は本来貴重な資源から作られたもので設計段階から回収しリサイクルすることを考えた製品ならごみになる割合は飛躍的に減ります。その意味では廃棄物はごみではなく資源還元財です。それなのにごちゃまぜにまぜて捨てることで有害物に変えてしまうのです。処分場とはこのパラドックスを生む場なのです。 第三に、現在の処分場は「準好気性」を原理にしています。ごみの上にうすく土をかぶせることで「準好気」つまり空気にふれることで分解を早め土化=無害化しようという発想です。これは高度成長期前ではある程度の合理性をもちますが、現在のような“さびない”“くさらない”“分解しない”ハイテク化合物の時代にはミスマッチです。プラスティックは四百年もつと言われます。ところが処分場の寿命は10年から30年がいいとこでしょう。処分場閉鎖後でもごみは無害化しないのです。「やがて土になる」という「貝塚の思想」では環境汚染は不可避です。 第四に、国内における南北間題です。廃棄物の排出地域は都市圏で、処分場は地方つまり田舎にあります。この差別構造の固定化をもたらすことが間題です。「自区内処理」という言葉がありますが、目本のごみは日本で、千代田区のごみは千代田区で、大手町のごみは大手町で処理すべきです。それができない産業構造なら産業構造こそ変革の対象なのです。 第五は、水源地に処分場を作る愚です。人のいる所だと反対運動が起こるため、処分場は山間部の水源地につくられやすい傾向があります。水源地にごみを捨てる行為は天にツバする行為です。厚生省(現.環境省)は水が汚染したら水道を引きましょう、というが百歩譲って飲み水は浄化できても(私は原水が汚れれば水道も危険と考えているが)農業用水は濾過できません。膨大な量の農業用水を浄水化する経済力はありません。 |
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