50 大転換期における反核平和運動の民衆の思想 −核と原発を直ちに廃止することを求めて−
2001年10月 前野良 44ページ 400円
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(本文より)
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原発と原水爆(核兵器)が全く別々にとらえられていた―ある集会での痛感 |
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| 柳田 | 8月は、広島と長崎へ原爆が投下された月です。8月を前に核兵器をなくそうといくつかの集会が開かれその一つに出て、痛感したことがありました。それは「核をなくせ」と「原発をなくせ」が、ほとんど、つながりがないまま、別のものとして話が進行して終わったことです。出席者(30人弱)は原水禁関係の人も多く、反原発に熱心な人もかなり居たのに、しかし、話がつながらないのです。 当日は核兵器をなくせというのが中心だからということで、原発との関係を深める時間もなかったんですが、深める討論と意志が無かったのです。ある出席者から原発の問題を考えて欲しいという意見に対しては、こういう反論でした。核兵器には反対だけど、原発はしょうがない、原発は必要悪ぐらいに思っている人を排除しちゃうことになる。そういう人も入れてやりたいから原発は入れないのですという答弁でした。質問者も別に反原発を入れろと言ってるわけじゃなくって、両方の繋がりをもう少し統一的に考える視点も含めてということを言ったのですが。日本の核兵器を無くせと反原発の運動を、両方やっている人が多いのにこういう会合で話されると、2つは別のものに扱われてしまう。残念でした。日本のこの運動の現状を少しでも打破して前進する一助として、原水爆(核兵器)と、原子力発電の両方について、トータルな理解をできるようなパンフレットがあると全体の問題意識と、理論水準を一歩も二歩も上げる非常に大きいインパクトになると思います。部分的には言われているんですが、なかなか纏まったパンフみたいなものがありません。そういう意味でこの問題についてお話頂く第一人者だと思うので。今日のを第一弾としまして、もし前野さんのご都合が宜しければ再度、例えぱ小泉好延さんだとか菅井益郎さんだとか他の方とも原発と核について対談などして頂くのもいいなぁと思うんです。それで一応、たんぽぽ舎の鈴木代表が以前インタビューしたものを纏めたパンフがこれまででは一番纏まっていますけども。これをもっと豊かに中身を充実してして頂けるといいなと。どうしても原子力の平和利用という単語にごまかされてしまい、原発で電気が三分の一賄われているというふうに―それはほんの片面の事実でしかないんですが―思っちゃっている人が非常に多いもんで。ただ、新潟県の刈羽村という、東京電力の城下町で、東電が4年間、何億の金を使って宣伝したにも関わらず小さい村の住民がプルサーマルNOと住民投票できめる時代になりました。プルサーマル集会も盛り上がり、全国の原発の運動はかなり繋がりました。刈羽村の住民投票の勝利で、みんなの意気が上がりました。核兵器と原発の両方を別々に捉えてきたきた歴史、今後どうやって考えたらいいのかについてお話を伺いたいです。 |
| 前野 | 反論する人もあるでしょうね。それで、何から話しどこまで話を。 |
| 柳田 | 核兵器を無くせと原発反対の運動について前野さんが考えられていることと、なぜ別々になってるか。どこらへんから原水禁が取り組み初めて、その良かった点と今後克服すべき点と課題をお話いただければ。 |
| 前野 | そうか。今夏の会議の中身は具体的にはよく知りませんが、お話でよく分かりました。だいたいそれは今までの原水禁、原水爆禁止運動及び反原発運動の従来のやり方をおさらいしただけだと思います。しかし運動に携わってきた我々、特に私自身広島で被爆し、その地に一ヶ月余り留まっていたと云う歴史もあり、戦後一貫してアメリカ占領の時からこの運動に参加してまいりましたが、今、深い内省的なつまり運動の思想は何であったか自ら問う、意識を持つ様になりました。核兵器反対あるいはその後作られるようになった原発反対運動には深い内省的な、つまり自分で反省する内省的な気持ちがここ3〜4年非常に強いし、折に触れてその話はしているわけです。 どうして運動に参加している方が今まで通りのスタイルのスローガンでやってみて成功しないということについて、自分らの運動の責任を感じないのかということを非常に強く感じてます。 |
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| 日本国憲法と自衛隊―その情報公開 |
| いま一つ、護憲ということでは自衛隊の問題です。私は今回のPKO法案については、当然反対で色々な運動にも参加してきましたが、そこに戦略的構想が欠けているのではないかという感じを持ちました。誤解を受ける言い方かも知れませんが、私は「モグラ叩き」だけでは駄目だと思います。「モグラ」が出てきたら叩くことは必要だが叩いて引っ込んでも、また出てくる力を持っている。「モグラ」の力をなくするには太陽のもとに出さなくてはならないのです。つまり、大胆に自衛隊とは何か、それはもう違憲の存在であるということ、その専守防衛とはなにかという根本を国民の中で問わなくてはなりません。専守防衛とは市民と社会を守ることであって、時の政権や狭い意味の国家機構を守ることでは決してない。ここを間違えると、時の国家を守るということで何でも国家の道具として自衛権が発動されることになる。防衛の一番重要なことは、社会と文化、市民の生活を守ることであり、この立場に立って初めて第九条は理解できるわけです。それはわが日本の侵略戦争の歴史が教えてくれたことです。 いま日本の軍事費はアメリカに次ぐ世界第二位となっており、新中期防衛計画によって軍の近代化がすすめられ、プルトニウムもこのままいけば2030年には、アメリカ、ロシアが核兵器に保有している量を越えることになる。それはただちに日本の核武装にいくかといえば、被爆国でありまた非核三原則もあり、そう短絡的には考えられませんが、国家権力と政治状況により危険性はおおいにある。その意味で、世界第二位の軍事費と大量のプルトニウムを持っているということは、かつての侵略を受けたアジア太平洋の人々にとってはいくら弁明しても大きな軍事的脅威であり、またそれを与えることを意図しているのではないかとさえ思われる。なぜなら仮想敵国の「ソ連」は存在しなくなったからである。かつての侵略戦争のようではなくて一つの抑止力としてこの地域に対する政治的経済的ヘゲモニーをそれを背景にして維持するという目標を持っていると思う。また中国の軍事費の増大と軍近代化にも対応する考えを持っていると思う。 こうした状況のなかで、私は自衛隊という軍組織やプルトニウムの存在や核に関連する施設を市民に公開することが大事なことだと思いますし、情報公開運動として提起したいと思います。このことを言うのは、一般的情報公開の必要性からだけでなく、私のささやかな経験から申し上げるのです。それは国家意識の問題です。私は九大の学生当時軍事講和をボイコットし卒業前に、学生の特権を失い赤紙(すぐ返されたが)、敗戦の1年3ヵ月前にまた赤紙がきて、広島の特殊部隊、つまり敵前上陸部隊である暁部隊に招集された。そして軍隊ではドイツも日本も敗北すると言ったことで、敗戦主義者として暗い部屋で殴る蹴るの酷い目にあってきた。広島では被爆による犠牲者の収容にあたり、自ら被爆することともなりました。朝鮮の人々もみました。こうした経験から、やはり戦争や核被害は国家権力による社会的差別構造の上に成り立っていると実感してきました。その間、田舎の兄の病院が駐屯部隊長に接収され、老いた両親が断ったのだが、それなら息子達を前線にやるぞと言われてやむなく家を引き渡したことを後から聞きました。こんなことは市民の中に多くありました。そのように軍や国家が市民の上に超越する存在となるような特殊な国家意識をもつことを無くすることが未来社会をつくるとき大切だと思います。市民には自衛隊の情報を公開し自衛隊は市民と共にあり、その生命、文化、社会を守るものだということが明瞭に見えるようにすることが大切だと思う。原発についても、チェルノブイリでわかったように情報が公開されず、むしろ市民が情報から隔離されていたため無駄な犠牲を大きく受けてきた。その意味で、自衛隊、原発そしてプルトニウム関係の情報を全て公開させる。そして自衛隊は普通の市民と同じく一人の人間としてあらゆる人権(言論、出版、結社の自由も)が保障される事が大切ではないだろうか。 この自衛隊は軍縮の時代に適応するように質的に大幅に削減することが必要であろうと思います。そういう点について社会党の間題意識はどうであろうか。PKO法案には反対だが、その本体(軍隊としての自衛隊)について議論、分析しないで野党間の纏まりがつかないから触れるまいとする。大組織の代表が自衛隊が憲法に違反しないなどと憲法学者のようにいい、それを社会党指導部がたしなめようともしないのは私達には理解できないことです。 |
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| 前野 良氏プロフィール |
| 前野 良(政治学者) |
| 1)略歴 |
| 1913年生。九州大学法文学部(政治学)卒。政治経済研究所、静岡大学、長野大学(経済学部部長)、法政大学、東京経済大学などで政治学、国際関係論の教育研究に従事。又1957年スターリン批判の立場にたつ批判的社会主義の理論の研究の為、今は亡き大内兵衛、小林良正、今中次麿、渡部義道、井汲卓一、松本七郎、諸先生とともにIPES(社会主義政治経済研究所)を創設。アントニオ・グラムシの政治思想、フランスの労働者の自主管理運動の理論と思想、イギリスの批判的科学運動(オルタナチィブテクノロジー、反原発のテクノロジー論)、ポーランド労働者連帯運動、東欧、ソ連民衆の反核運動とその思想、現在に至る。 |
| 2)反核平和運動について |
| 1944年一兵卒として広島に動員、敗戦主義者として処罰また多くの被爆者の救助活動に従事自らも被爆。戦後一貫して反核平和運動に参加、原水爆禁止運動には1955年第一回大会より参加、62−63年いかなる国の核実験にも反対すると言う立場を支持し原水協を離脱し、原水爆禁止国民会議の創設(1965)に参加。1992年まで代表委員(現顧問)。核の軍事利用と平和利用は同じだとの方法を原水禁の中に確立。その間アジア太平洋非核独立会譲の大会に代表の一人として3回参加。人種差別をなくし人権を確立することが平和の基本条件であることを確信。アジア、太平洋の非核、独立運動をはなれて日本の平和運動はありえないこと、また日本のこの地域への経済侵略は、この地域の人権、平和を阻害していることを指摘。また反対を受けるが、ドイツ、ポーランド、チェコ、ロシアの非政府系反核平和団体と原水禁との交流に努カ。国境と国家を越えた反核平和運動の新しい思想にふれる。西欧と東欧の民衆の連帯の思想が、冷戦と国家とブロックの壁を破ることの時代的意味。 さらに韓国の反核平和団体との人的交流の合法化のために原水禁として日本キリスト教教会や牧師吉松繁さんと共にこの道を開拓。韓半島の人々と日本の人々との連帯がアジアの平和の第一条件。 |
| 3)現在 |
| 社会主義政治経済研究所グラムシ研究会主催 原水爆禁止国民会議顧問 ノーニュークスアジアフォーラム たんぽぽ舎アドバイザー |
| 4)主な著書 |
| 自主管理の政治学(1983) 東欧をゆるがす民衆の哲学(第二部反核平和運動の思想と行動)1991 アントニオ,グラムシ「現代の君主」(共訳) 現代革命と人民民主主義(共訳著) グラムシ政治学と現代―その覚書(「現代の理論」1988) |
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