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2002年9月30日 JCO臨界被曝事故3周年集会
(930実行委員会主催)
茨城からの訴え
「被害者の会」が民事訴訟に踏みきるまで
〈支援のお願い〉
大泉実成さん
(臨界事故被害者の会)
| 1999年 |
9月30日 12月24日 |
東海村でJCO臨界事故発生 原子力安全委員会の「ウラン加工工場臨界事故調査委員会」が最終報告書 |
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| 2000年 |
3月29日 9月30日 |
科学技術庁の「原子力損害調査研究会」が最終報告書 臨界事故1周年 |
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| 2001年 |
4月23日 9月30日 |
JCO刑事裁判・初公判 臨界事故2周年 |
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| 2002年 |
5月 6月 8月 7日 9月 2日 3日 30日 10月20日 21日 |
「JCO臨界事故総合評価会議」が生活意識調査報告 「臨界事故被害者の会」とJCOの補償交渉が決裂 「臨界事故被害者の会」が民事訴訟に取り組むことを決定 JCO刑事裁判・論告求刑 大泉夫妻(実成氏の両親)がJCOと住友金属鉱山を提訴 臨界事故3周年(JCOの法律違反の時効期限) 「臨界事故被害者の裁判を支援する会」結成集会 JCO刑事裁判・最終弁論 |
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〜以下予定〜 |
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| 11月13日 |
JCO民事裁判・初公判 |
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| 2003年 | 3月3日 | JCO刑事裁判・判決 | |
「臨界事故被害者の会」の大泉です。今日は事故から3年目の9月30日という日に集まっていただきまして、ありがとうございました。
じつは今月の9月3日に「臨界事故被害者の会」として訴訟に取り組むことになりまして、その一環として私の両親、被曝した両親が民事訴訟を起こすということになりました。それで私の方からは、どうしてそのようになったかということを簡単に説明させていただいて、最終的にこの裁判に対する支援をお願いしようと思っています。
まずJCOとの補償交渉が今年の6月に決裂してしまいまして、そのために訴訟の他に道はなくなってしまったんですけれども、なぜ交渉が決裂したかということです。
で、被害実態は大変歴然としています。例えば先ほどの槌田先生のお話の中でもありましたけれども、私の母親はJCOから120メートルのところで仕事をしていて、その日の夜中から口内炎ができ、激しい下痢を起こし、そして翌日からも倦怠感で何もやる気が起きないという状態になりました。
それからそのあとJCOの近くに行くと筋硬直が起こる。あるいは「JCO」とか「被曝」という言葉を聞くと心臓がどきどきしたりすると。まあJCOの近くに行くことができないということで、典型的なPTSDの症状だということで、自分の母親の症状はJCOの事故との因果関係が明らかだという診断書を医師が書いて、ぼくらはJCOにそれを見せてその医療補償を求めましたが、結局はゼロ回答でした。全く一銭も払おうとしません。
これはなぜかと言いますと、単純に言いますと当時の科学技術庁−まあ国ですね−が事故から数ヶ月たってから「原子力損害賠償研究会」という研究会を自分たちの御用弁護士、御用学者を使って作りまして、これも非常に長いものですから端的に言いますと「今回の事故では風評被害はある程度は補償しなさい。健康被害は補償するなよ」という内容の報告書が出てます。
で、今年の4月にJCOが出してきた回答の中には、この国の報告書からの回答がじつに8ヶ所ありました。もう完全にこの国のお墨付きの上でJCOは開き直ってしまって、医療補償に関しては完全にその被害が出てるのは分かってるんだけれども補償はしないというふうな態度でした。で、6月に交渉決裂しまして、ようするにもう何一つまとまらなかったわけです。
それでもう一つは、JCOの不法行為というのを追求する、つまりJCOが悪いことをやったから補償しなければいけないんだという訴訟をするためには、不法行為は3年で時効が来てしまうということを弁護士さんから教えていただきました。
つまり今日です。
この9月30日を過ぎると、被害はその日から起きてますから、3年経って時効になってしまう。で、その前に訴訟を起こさなければJCOの不法行為に対して補償を勝ちとるということも出来なくなってしまうというところまで追い詰められました。
で、交渉が決裂してから、大体10人くらいの人が原告として訴訟しようかどうかと悩んでくれました。
最終的には2人しか原告にはなれなかったんですけれども、ある人はJCOにはものすごい腹が立っていると。もうはらわたが煮えくりかえっている。だけれども、その日自分は外側から仕事で東海村の駅に帰ってきたんだけども、その時自分の娘は350メートル圏内の自分の家にいて、とにかく外からどんどん「どうなった?」「どうなった?」と電話が掛かってくるので、避難所にも行けずにずっとそこにいたと。で、被曝してしまったと。そういう娘の将来のことを考えたら当然名前なんか出せないし、訴訟なんか出来ないという方がいらっしゃいました。
それから別の方で、これも娘さんですけれども、そのやはり体調を悪くしている親御さんが訴訟しようかどうかと考えた時に娘から反対されたと。その娘さんも体調を崩しているんだけれども、今県がやっているJCO事故のための健康診断があるんですが、そこにも行かない。行けば被曝したっていうことを周りの人に言ってるようなものじゃないかと。ようするに結婚差別が将来あるんじゃないかということを恐れてどうしても行けない。それなのに訴訟なんて到底出来ない。
それから、小学生の子どもが自分がいたところよりもはるかに近いところで被曝しているのに、どうして自分が声を挙げられるだろうかという方もいらっしゃるんです。
でもこれは被曝によって起こっている数々の差別の事で、結局のところ原子力事業所というのがそこにやってくると、事故が起きた時というのは、もう「あらかじめその周りにあるものは人質に取られている」ということです。
原子力事業所がやってくると。
で、例えば事故が起きたと。
で、補償問題が出てくる時に、「自分は被曝者です」というふうに事故直後に早くから言える人というのは、本当に少ないんですね。
つまりそこでもう自分の子供とか、ぼくの場合は両親とか、それから農作物もそうです。JAはもっと影響は長く受けて風評被害もひどかったんですけれども、1年で切り上げました。それ以上主張を長く続けると、今度はその地域の農作物がほんとに売れなくなっていくっていう、そいういう危機的な状況があったというふうな話を聞きます。そういう農作物ですとか水産物もそうです。それから何よりも人間です。
そういう人たちが、原子力事業所が来た時点でもう既に人質に取られていたということがJCO事故でぼくはすごくよく分かりまして、ほんとに被曝っていうのは嫌なことだというふうに感じました。
そんな訳でみんなものすごく悩みました。でもやっぱり訴訟できないという事で、もう一つは東海村は「原子力の村」だということがあるんですけれども、もう何かしようとすると圧力が掛かってくる。50年かけて「原子力の村」になってきたところですから、あらゆる人間関係の中でそういう圧力が掛かってくるっていうことがあります。
事故直後のJCO正門前(撮影:小林晃氏)
まあそんなこともありまして、最終的には自分の父親と母親しか原告になれなかったということで、これは大変に残念なことでしたが、現状を考えるとやむを得なかったと言えると思います。
で、もう一つ7月から8月にかけて、JCOとの交渉の決裂を受けて「被害者の会」としてどうしようかと、訴訟を会として取り組むのか、それとも個人がやるっていう形にするのかということで大変な議論になりました。
会の中で子供を持っているたくさんのお母さんたちが活動をずっと一生懸命してくださったんですけれども、その方たちはやっぱり裁判は何年もやらなきゃいけないしということで、まずひとつには大変だと。もうひとつは裁判をやっても今の病気、それから将来起こるかもしれない病気、それから差別、これらは何一つ解決されないと。で、それはもう彼女たちの言うことはその通りで、裁判をやったって解決されないじゃないか、病気の心配をするんだったらばもっと健康の心配をした方がいいんじゃないかと。それはもうその通りなんです。で、僕はそれはその通りだと思いましたし、そういう点では見解は一致しました。
ただ、それでもどうしてもJCOに対してほんとに腹が立つ、あるいはJCOの事故を起こす背景を作ってきた国とか発注元の動燃に対してもほんとに腹が立つという何人かの人たちが訴訟をやりたいというふうに言った時に、反対した方も「確かに自分たちもそのことについては腹が立つし、それについては応援したい」ということで、3回総会をやって8月7日に意見がまとまって「被害者の会」として訴訟に取り組もうという事になりました。
そんなわけで、さらに「被害者の会」だけでなくて地元の原子力の問題について考えてきた沢山の団体がありまして、そういう人たちが裁判を支援しようということで「臨界事故被害者の裁判を支援する会」というのを立ち上げようということで動いてくださいまして、お手元に『臨界事故被害者の裁判を支援する会』に対する賛同のお願いという紙があると思うんですけれども、この「賛同のお願い」の中で、特に今ずっと報告にありました、東電というか日本中の電力会社の原発トラブルの隠匿ということとJCO事故に非常に共通な部分というのは、やっぱり国と特殊法人みたいな所とそれから企業が癒着して馴れ合いで内側でやっていると。
その結果、周囲の人々に非常な不安、あるいは実際的なJCOの事故の場合は原発事故のような大事故ではなかったわけですけれども、それでもこれだけの被曝と、被曝による差別に対する不安ですとか精神的な不安というものが起こってきています。
で、これがこのまま進んで原発の事故になれば、ほんとにぼくは想像するだに恐ろしいです。そういう点で言うとある種の先行例であり、共通する部分でもあるし、そういう事は決してもう起こしちゃいけないと思います。
「臨界事故被害者の裁判を支援する会」に対する賛同のお願い 1999年9月30日、茨城県東海村にあるJCOのウラン転換加工施設で、臨界事故が発生し二人の労働者が亡くなり、周辺住民の多くの人達が、目に見えない中性子線によって被曝させられました。
その恐怖感はたとえようもなく深刻なものでした。31万人者人たちが18時間も屋内で、じっとその恐怖に耐えていました。3年経った今日でも、そのときの恐怖がよみがえる人も多くおります。臨界事故によって、周辺住民や企業の人たちは経済的損失、精神的苦痛などの被害を蒙りました。
この事故は、JCOの法律違反の操業が原因であり、政府・科技庁のズサンな安全審査や規制及び防災対策が無策だったことによってもたらされたものです。
事故の加害責任は、今、水戸地裁で進行中の裁判の中でも明らかにされつつあります。しかし、この刑事裁判は、被告とされた6人の社員と会社であるJCOの法律違反、ならびに企業責任をめぐって行われているもので、直接周辺住民に対するJCOの社会的責任を問うものになってはいません。法定内で言葉の上では周辺の人たちに迷惑を掛けたと言ってはいますが、周辺住民の健康問題は全く取り上げられてはいないのです。
今日まで、政府・科技庁は、事故を小さく見せ、事故の本質を覆い隠して、被害の実態を隠してきました。それをいいことに、JCOは周辺住民の受けた苦しみを無視してきたのです。
「臨界事故被害者の会」はJCOと再三にわたって交渉を行いましたが、彼らは要求に全く応えようとはしませんでした。このため、「被害者の会」は、改めてJCOと親会社の住友金属鉱山が周辺地域住民にもたらした健康被害などの加害責任を問うために、訴訟を起こすことを考えました。目に見えない放射線による心身の健康被害と、それを原因とする経済被害について、損害賠償請求という形で訴えることになりました。
これは、大泉昭一ご夫妻が原告となっていますが、「被害者の会」及び周辺住民の怒りの気持ちを代表した訴訟となっています。
このほど、臨界事故の被害を憂うる有志が集まり「臨界事故被害者の裁判を支援する会」を結成することになりました。JCOと住友金属鉱山の不法行為、加害責任を追及し、原子力事故・災害の実際を明らかにし、この訴訟を支えていくことが、JCO事故を風化させないことだと考えています。
つきましては、この訴訟の意義をご理解いただき、「支援する会」の会員となって、物的精神的なご支援を賜りますようお願い申し上げます。よろしくお願いいたします。2002年9月27日
「臨界事故被害者の裁判を支援する会」
結成呼びかけ人藤井学昭、坂本正誠、佐藤利彦
高田 進、梅田武敏、新妻陸利
会沢雄策、河野直践、相沢一正連絡先 茨城県那珂郡東海村舟石川847−19 大泉工業(株)内
「臨界事故被害者の裁判を支援する会」準備会
TEL/FAX.029−282−7117
その「賛同のお願い」の3段落目のところで、「この事故は、JCOの法律違反の操業が原因であり、政府・科技庁のズサンな安全審査や規制及び防災対策が無策だったことによってもたらされたものです」とあります。にもかかわらず、この作っていただいた資料の「検察の『JCO求刑』を批判する」という中にもありますけれども、ようするに今やっています刑事裁判ではJCOの違反行為および企業責任を巡って行われているもので、住民に対するJCOの社会的責任を問うものにはなってません。
そしてさらに資料の中の「国の安全審査のズサンさ」「無理な注文をした動燃の責任」「JCO、東電ともに利益第一、安全意識希薄の共通項」っていうのはまさしくその通りだと思います。で、そういうものが今の裁判で問われてないんです。
で、この裏面に行きますけれども、この裏面の2段落目に、「このほど、臨界事故を憂うる有志が集まり『臨界事故被害者の裁判を支援する会』を結成することになりました」とあります。ま、これは形として「JCOと住友金属鉱山の不法行為、加害責任を追求」するということなんですが、やっぱり「原子力事故・災害の実際を明らかに」するというところに大きなポイントがあると思います。つまり国がどうしてこういう災害を起こさせるような許認可をしたのか、あるいは国がその被害に対してやっている評価がどのように誤っているのか。で、被害の実態はどうなのか。そういう構造をこの民事裁判の中でも追求していくことが出来たらいいなと思っております。
で、私もこの「裁判を支援する会」の準備会の中で働いてますけれども、働いていくことが「JCO事故を風化させないこと」だというふうに思っております。みなさんに「訴訟の意義をご理解いただき、『支援する会』の会員になって物的精神的なご支援を賜りますようにお願い申し上げます」。
この結成の呼びかけ人は茨城県の運動家の人たちです。
ということで、初公判が11月13日に決まりまして、水戸地裁で10時30分から行います。原告が意見陳述をする予定になっております。
今後とも物心ともにみなさんのご支援をお願いしたく思います。よろしくお願いいたします。
(終わり)
〈2003年9月30日 東海村臨界被曝事故4周年・東京圏集会 での
大泉実成さんのお話「4年目の東海村と健康被害裁判の状況」へ〉
●講演録が好評につき、この講演と、「東海村臨界被曝事故4周年・東京圏集会」での
肥田舜太郎さんと大泉実成さんの講演などを収録した
パンフレットが近日刊行になります。
(予約・お問い合わせ)
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