第82回いろりばた会議録(2004年1月22日開催)スペシャル
ヒバクし続ける私たちの世界
〜映画「ヒバクシャ〜世界の終わりに」の現場から〜
〈後半〉

(2004年2月2日、「ヒバクシャ」千代田区上映会場入り口。
アジアンスパークのNO DUアート)
鎌仲 ひとみさん
(映画「ヒバクシャ」監督)
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●地続きの存在● [↑目次へ]
だからその、本当に無知なままに作っているので、どうも間違いが結構いっぱいあるらしいんですね。それをまだ直せないでいるんですけれども、すごく単純な間違いを私は映画の中でやっているらしいんです。でもね、本当に核とか原発とか、この問題に関して勉強するっていうのはものすごく大変だと思いました。分かりにくいなあと思ったんですよね。
それで、自分の生活にものすごく関係のある原発に関して、何で自分は興味を持たずこんなに無知だったんだろうということを考えたときに、やっぱりすごくとっつきにくいと。そういう情報が分かりやすく世の中にはないし、誰も教えてくれないし、自分からそのことを積極的に学んでいこうというきっかけがやっぱり誰にでもあるわけじゃないんじゃないかなと。私の場合は、たまたま今申し上げたようないろんなことがあって、それでこの映画を作りながら勉強したんですけれども。
だから、すごく分かりにくいなあと。だって見えないし、におわないし、政府は安全だって言ってるし。それで、いざ勉強しようと思うと、専門用語がたくさんあるし、何か本を一冊読もうと思っても、すごく政治的なことが書いてあったり専門的なことが書いてあるだけで、普通の人が読んで分かりやすい、“ああ、自分は今こういう世界に生きているんだ、自分とこれはこういうふうに関係してるんだ“っていうふうなことが、もう本当に私のような知能程度でも分かるような資料っていうものは非常に少ないんですね。
だから私はこの映画を見てもらいたい。見てもらって、自分が今核とか放射能ということに関していったいどんな世界に生きているのかっていうことを、理屈とか数字とかデータとかじゃなく感覚として感じてもらいたいと思ったんですね。被曝する感覚っていったいどういう感覚なんだろう、ヒバクシャとして生きるっていうのはいったいどういうことなんだろう、ヒバクシャっていったい誰なのかなあということを。だから、すごく長い映画になってしまったんですけれども。
で、そのことを論理的に数字を並べて説明することは私にはできないんですね。だから、そういうふうにこの現実の中で生きている人の生き様・人間そのものを感じてもらえたら、自分たち一人一人が生きている今現在のこの社会・世界の地続きのそこにいる存在としてヒバクシャが見えてくるんじゃないかと。
そうしたら、そのヒバクシャは自分自身であるっていうことも見えてくるんじゃないかと。私はイラクに行っただけではなく、被曝し続けていると思うんですね。それはこの映画を作ったからそういう認識に立っているわけなんですけれども。世界中で行われた核実験、そして使われ続けている劣化ウラン弾、それから原発から出てくる放射性物質、電磁波も被曝の一つですし、そういう意味で言うと、この世界の放射性物質の濃度をどんどん高めている私たち自身の生活の営みというものがやっぱりあって、それが自分で自分の首を絞めているというか、自分で自分をヒバクシャにしていっているということが逆に照らされてくるっていうことなんです。
●「タケノコ映画」● [↑目次へ]
まあ、そういう勝手な思い込みでこの映画を作ったんです。で、そういうふうに感じろと強要したくもなかったので、非常にマイルドになったというか、強制的な映画にはしたくなかったんですね。何ていうんでしょう、一人一人が持っている感性ってそれぞれに違うんですけれども、やっぱりその感性は感性としてあるんですね。
それは被曝もそうなんですけれども、同じ所に行って同じように被曝しても、病気になるなり方はそれぞれに違うわけですよ。で、私の映画を見ても、どの部分で感じてどこをどう全体的に感じるかっていうのは、本当に見る人自身の感性とか知識とか、あるいはこれまで生きてきたいろんなもので受け止めてくださればいいと思うんですね。
で、私は「タケノコ映画」って呼んでるんですけど、“このことに関してもっと知りたい”と芽を出して、さっき言ったように、ヒバクシャというのは誰なのか、どういう世界に生きているのかということを学んだり経験したりしていくプロセスそのものを撮影しながら映像を積み重ねていって、植物が成長するようにできた映画なんですね。ですから、その私の道行き、私が肥田先生と一緒に学んだこと、あるいはトムと一緒に体験したこと、あるいはイラクで出会ったいろんな人たちから得たこととか、そういうことをお勉強ではなくて自然に感じてもらえたらなあと。
で、感じたら、そのあとはどうなのかっていうのは、まあその人次第だと思うんですけれども。
●目足● [↑目次へ]
この間、浄土真宗の若手のお坊さんたちの勉強会に呼ばれたんですね。そのお坊さんたちが宗教者として現代に生きるときにこの問題とどう付き合ったらいいのかを考えましょうという研修会で、それでこの映画を見ていただいたんです。その時に見てくださった若いお坊さんが、「これは私たちに現代社会における目足(もくそく)というものを考えさせる」というふうに言ったんですね。目足っていうのは、目と足って書くんです。で、ああ、そうか、と私は思いました。
「目」っていうのは知識なんですね。“知る”、いったい何が起きているのかを知る。まあ、知るということに関しては、私はこの映画である程度できたんじゃないかなと。それまで原発や核について興味を持ったこともなくて、自分は全然関係ないと思っていて、だけど何となくイラクで起きていることを知りたいなという興味だけでこの映画を見たごく普通の人が、自分が今どんな所に生きているのかということを知ることはできるだろうと思うんですね。
じゃあ、知ったあとに、「足」っていうのは、“どう行動に移すか”ということなんです。知ることが行動に繋がるっていうか、知ることと行動することは実は一緒であるというか、そういう浄土真宗の宗教用語というか仏教用語があるらしいんですね。
で、私はなかなかいいなあと思ったんですけれども、私もその知ることとこの映画を作りながら行動していく・動いていくっていうことが同時進行的にあったわけなんです。
実際にこの映画を作ってみて、まだ全部上映していただいているわけではないんですけれども160カ所で、400人来てくださる所もあれば、70〜80人の所もあれば、200人の所もあるわけですけれども、本当に日本の映画館のない小さな市や小さな町や小さな村で見ていただいています。それで、見に来てくださった人たちが「私たちも何かしなくちゃいけませんね」とおっしゃってくださるんです。
けれども、じゃあいったい何をしましょう、と。「何をしたらいいんでしょう」っていうことを聞かれるんですけれども、やっぱりそれは「自分の頭で考えてください」というふうに言うしかないんです。でも、その「何かしなくちゃいけないんだ」というふうに感じてもらえてるなあっていうのは、どこの会場に行ってもすごく伝わってくるんですね。で、じゃあそれからいったいどうするんだ、どうしろっていうんだっていうね、それは本当にこれからの課題だと思ってるんです。
でも、例えばテレビの前に座って、小泉首相が何たらかんたら言ってることとか、イラクに自衛隊が派兵・派遣されることとかに関しては、この映画を見る前と見たあとでは感じ方が違うんじゃないかなと思うんですね。で、その劣化ウラン弾、あるいは放射能というものが、戦争が終わったあとも人を殺し続けるものであるとか、あるいは原爆も原発も人間にすることにあまり変わりがないのだということが分かったときに、やっぱりその人の中の深い所で意識の変化というか、ちょっとシフトが起きるんじゃないかなあと思うんですね。でも、そういうことから始めていかないと、人間というのは自分がどうしたらいいのかということを考えていかないんじゃないかなっていう気がします。まあ、それは勝手に私がそういうふうに思い込みを込めて、この映画を担いで回ってるわけなんですけれども。
●2003年、ボスニアを取材● [↑目次へ]
それで実は、「ヒバクシャ」を作ったあとに、世界中にヒバクシャがいるっていうことが分かってきたんですけれども、イラクで使われた劣化ウラン弾に関して、癌が増えたり白血病が増えたり、あるいは障害を持った子供が生まれたりしているっていうことは、アメリカ大使館のホームページに“あれはイラクの風土病だ”というふうに書いてあるんですね(今はなくなっている)。あるいは、“それはサダム・フセインが持っていた化学兵器を使ったんじゃないか”と。クルド民族にマスタードガスを使った所では癌とか白血病がすごく増えている、だから、イラク全土に起きているそのようなことは、実はサダム・フセインの化学兵器が原因かもしれないっていうふうなことも書いてありますね。
それで、アメリカ政府は劣化ウラン弾は安全だと。確かに核廃棄物から造っているけれども、これくらいの量では人間の体には影響を与えませんということを、まあ公言しているわけですね。オフィシャルにそういうふうに公表しているし、在日米国大使館のホームページにも「劣化ウラン弾とは」という項目を設けてきちんとそういうふうに書いてあるんですね。それがいわゆるアメリカ政府の公式的な劣化ウラン弾に対する見解なんです。
で、だったら、アフガニスタンでも劣化ウラン兵器を使ったし、コソボとボスニアでも使ってるわけです。それで、私はボスニアとかコソボでいったいどういうことが起きているのかと。もしイラクと同じようなことが起きていれば、じゃあ、それはイラクの風土病だとも言えないし、サダム・フセインの化学兵器だとも言えないんじゃないかなと。で、それはそういうことを言っているアメリカに対するメディアからの反論になるんじゃないかなと思って、実は、去年の10月にボスニアに行きました。
ボスニアでは「バルカン・シンドローム」と言われている被害があるんですけれども、日本ではきちんと取材してどういうことになっているんだと報告しているのが少ないんですね。で、私も情報が欲しかったし、いったいどういうふうになってるのかも分からなかったけれども、とりあえず10月に行って取材をしてきました。
それを今編集していて、実は今日が仕上げの日で、それを仕上げてここにお伺いをしてお話しする予定だったんですけれども、朝から字幕を入れるコンピューターがブレイクダウンをしまして、仕上げないままに途中で来てしまったんです。で、実はそれを明日マスコミの方とかに見せる予定になってまして、これから帰って仕上げなきゃならないんですね。ですから、私はこのお話が終わったらまたスタジオに戻ってその作業をしなくちゃならないんですけれども。
●8年たった今、セルビア人にもムスリム人にも被害が● [↑目次へ]
それで、ボスニア紛争で劣化ウラン弾が使われたのは1995年です。私が取材したのは、ボスニアのハジッチ村という所なんですけれども、ここはかつて戦車を修理する工場があって、NATOがそこに劣化ウラン弾をたくさんぶち込んで、それを何発ぶち込んだかというのをちゃんと発表してるんですね。「30ミリ砲弾を10800発使った(そのうち、ハジッチ村では2600発)」というふうに公表してるんですけれども。
そのボスニア紛争というのはどういう紛争だったかというと、イスラム人と、セルビア正教を信仰しているセルビア人という民族が、お互いがお互いを殺し合う、隣人が隣人を殺し合う内戦になったわけです。それはボスニアが旧ユーゴスラビアから独立しようとした時に、ボスニアの中にいたセルビア人が「独立反対」と。それで、ムスリム人たちは独立したいということで独立を強行して、それでその殺し合いが3年半も続いたんですね。で、それを止めるために、NATOはボスニアに要請されて、セルビア人側に向かって大規模な空爆をしたんですね。その時にたくさん劣化ウラン弾を使ったんです。
で、劣化ウラン弾の被害っていうのは、もう皆さんもご存じのように、この敵に使ったらその敵にだけ効くというものではないんですね。今、8年たって、セルビア人側にも被害が出ているし、ボスニアのムスリム人側にも出ているんです。
で、セルビア人は「自分たちがNATOの空爆によってそんなひどいことになったんだ」ということを一所懸命言うんですね。
だけど、ムスリム人のほうは「それはセルビア人のプロパガンダである」と。「なぜならば、セルビア人はムスリム人をずっと虐殺していた。あいつらが悪かったんだ。NATOに空爆されて当たり前だ」と言ってるわけですね。で、ムスリム人は「そういうセルビア人の攻撃にさらされていた自分たちをNATOは救ってくれた」と。だから、NATOに向かって、自分たちにそういう害を与えたということを大っぴらに非難することができない。そういう民族紛争の確執というか狭間の中で、劣化ウラン弾の被害っていうのが両方のサイドに広がっている。
それで、その爆撃されたハジッチ村からそこに住んでいたセルビア人だけが別の村に移されたんですね。15000人が移されました。で、そのうちの4500人が移された村の診療所の医師が追跡調査をして調べたんです。というのは、どうも何か移民がよく死ぬと。で、カルテを調べるとみんなハジッチ村の出身じゃないかと。おかしいっていうんで、5年間追跡調査をしました。そうしたら、ブラトナツという町だったんですけど、ブラトナツの町のもともとの住人に比べて、そこに移住してきたハジッチ村の移民たちのほうが死亡率が4倍も高かった。4倍死んでるわけですね。
で、じゃあ、その元々のハジッチ村はどうなってるのかということで、ハジッチ村に戻って、ハジッチ村のムスリム人たちにいろんな話を聞きました。そうしたら、やっぱり癌は増えているとは言うんですけれども、でも「それは戦争のストレスだ」と言うんです。あるいは、「それはセルビア人側のプロパガンダじゃないか」と。あるいは、何ていうんでしょうね、増えてるっていうか、聞きに行っても数字を公表しないんですよ、そのハジッチ村の診療所は。
で、そのボスニアに残ったセルビア人だけが作ったテリトリーがあって、そこに病院があるんですけど、その院長も自分の所に来た患者を全部調べていて、そこでは生殖器の癌が戦前の10倍になってましたね。そういうデータが出てる。
●分析したらプルトニウムが検出された● [↑目次へ]
で、そのセルビア政府が持っている核研究所は、NATOが使った劣化ウラン弾を拾い集めてあるんですね。それを倉庫に保管してあるんですけれども、ドラム缶に入れて、プレハブみたいな倉庫なんですよ。で、メディアが4、5年前によくそれを取材に来たらしいんです。で、そこにいつも案内して、ガイガーカウンターで「ほらほら、見ろ。これはちゃんとした放射性物質だ」と見せていた職員が今回行ったら悪性腫瘍を患ってかなり深刻なことになっていました。「劣化ウラン弾は癌になって危ないんだ」という人が癌になっていた。で、成分を分析したらプルトニウムが見つかったんです。でも、イラクからはプルトニウムが出たという報告はありません。
ボスニアで使われた劣化ウラン弾の中には、プルトニウムとかネプツニウムが入っていて、これは「汚いウラン」なんですね。いったん原子炉の中で濃縮ウランを燃やすんですよね。そこから出てくる回収ウラン(再処理したあとに取り出されるウラン)と呼ばれるものの中に、そういうプルトニウムとかが入っているんですけれども。
ここでちょっと聞いてみよっと。プルトニウムっていうのは、私があちこちの文献とかインターネットで調べても、「毒性が高い」っていうのと「全然そんなことはない」っていうのと、二つあるんですけれども、あれは何なんでしょうか。
山崎久隆さん: 基本的にはプルトニウムを使っている原子力推進派の人たちは、「世の中に言われているほど危険ではない」という表現はしますよね。ただ、物理現象として、プルトニウムはウラニウム238の18万8千倍の放射性毒性があるというのは、これは物理的な常識ですよね。
18万8千倍ですよねえ。でも、劣化ウランそのものは毒じゃないと言ってるから。
山崎さん: まあそういう意味で言えばねえ、「限りなくゼロに近いものに18万倍掛けても大したことはない」っていうことは日本語として成り立たないことはないんですけれども。ただ、要はしかしながら、密封環境で管理して扱う分にはアルファ線はそんなに飛ばないし、ウラニウムそのものが密封されてる限りは外へ出ないという、そういう環境で扱う分においては問題はないという言い方を主にしているのであって、“世の中やその辺にばらまいても安全“というのは誰も言ってないです。
そうですよねえ。そのプルトニウムが入っていて、それは大量に入ってるわけではなくてほんのちょっぴり入ってるんですけれども、でもそのちょっぴりのプルトニウムが劣化ウラン弾と一緒にその環境の中にも溶け込んでしまったということは事実ですからね。
まあ、それでそのUNEP(国連環境計画)が来て、やっぱりバルカンは調査してるんですね。コソボ(1999年にNATO軍が空爆)もボスニアも調査して、で、やっぱり「健康には害がない」っていう結論を出してるんですよねえ。あれはどうしたものかと思うんですけれども。だから、よく分からないんですよ、そこら辺が。
●過去の傷と将来の不安● [↑目次へ]
だけどビデオの中には、私が自分で直接会って、直接見てきたことだけを入れてます。その中で、そのお互いに殺し合ったイスラム側もセルビア人側も、そこに生きている普通の人たちが、今自分たちがどういう状況か、「自分の妹が3カ月後に癌で死んだ」とか、あるいは「自分の両親がその爆弾が落ちた畑で作ったジャガイモを食べ続けて二人とも癌で死んじゃった」とか、そういう証言はたくさんあるんですね。
でも、それが劣化ウラン弾と因果関係があるのだということを100パーセント科学的に証明することは、どこまでいってもできない、んですよねえ?
山崎さん: できない。
できない。じゃあ、どうするのかっていうことなんですけれども、それでその劣化ウランはとにかくそれが本当に危険なのか・安全なのかということがきちんと分かるまで使うのをやめたらどうかっていう提言を、今してるところなんです。それで、劣化ウラン弾廃絶キャンペーンというのが全国的にもいろんな所で立ち上がっているわけですけれども。
で、私も、ボスニアに行く前にドイツのハンブルグでウラン兵器会議があって、そこに出席した日本人のメンバーとお金を出し合って、「「劣化ウラン弾」ってなに?」っていうパンフレットを今作ってる最中です(2004年2月12日初刷、44ページ、定価500円、発行:劣化ウラン廃絶キャンペーン・東京(リンク)、販売:たんぽぽ舎)。分かりやすいものにしたいと、山崎さんにも・・・、早く原稿を下さい(笑い)。一枚だけのを頼んだんです。それはファクトシートと言って、劣化ウラン弾に関する分かりやすいデータを、今みたいな「18万何倍だよ」とかそういう、普通の人が見て知り合いに言えるような、使えるような数字のリストを作ってくださいということをお願いしたんです。それを近いうちに出そうと思っております。
それで、ボスニアでは確かに癌が増えています。で、それは本当にその劣化ウラン弾が使われた、空爆を受けた地域の人たちに限定されて増えていました。まあ今8年後ですから、8年後に行った時点でそういう現地のお医者さんたちができる範囲でした調査の中からそういうことが出てきてるわけですけれども、じゃあそれを疫学的にもっと包括的に調査すべきだとは思うんです。だけど、調査ってものすごいお金がかかるんですね。
だから、UNEPが2000年にした調査っていうのは5年後です。コソボだったら1年後なんですよね。それでは、じゃあどういう晩発性の長期的な影響が出てるかっていうことに関しては、データが不十分だと思うんですね。
山崎さん: まあ無理ですね、その時期では。はい。
うーん。で、8年後っていうのは、ちょうど私が98年にイラクに行った時には7年半というかほぼ8年後で、それで随分増えてるという感じがあったので、じゃあ本当にボスニアでも増えているのではないかというふうに考えました。
で、そのできあがったビデオを見ていただければいいと思うんですけれども、ものすごい説得力を持っています。私が道を歩いて、あるいは共同墓地に行って本当に偶然に出会った人たちが、口を揃えて、若い人たちが癌や白血病で死んでいくんだとか、自分の親戚の中ではこれだけ死んでるとか、あるいは自分自身も病気になる不安を抱えているとかいうことを切々と語るんですよね。
それは戦争ということを体験したイラクとかボスニアとかアフガニスタンにとってみると、戦争のトラウマというものから立ち直る、つまり過去の体験から来る傷から生きていくだけでも本当に大変なのに、劣化ウラン弾による後遺症で自分が将来どうなるか分からない、いつ病気になって死ぬかも分からないという不安が上乗せになって、その二重の苦しみの中で生きていかなければならないっていうことなんですよね。
まあそういう、本当にそれは人間が人間にしていることだっていうことが、またあるわけなんですけれども。で、私たちは先程言ったように、目足の「足」をこれからどうしていくかっていうことを本当に真剣に考えなきゃいけないと思います。
それで、この映画なんですけど、たんぽぽ舎さんなどで2月2日に上映していただきますが、どうぞよろしくお願いします。それと、渋谷のユーロスペースでもやりますので、見に行けない方にはユーロスペースをお薦め下さい。どうもありがとうございました。
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