文責:いろりばた会議事務局
| チェルノブイリ17年目の現在……吉沢弘志さん | |
| 浜岡原発と東海地震…………………山崎久隆さん | |
| JCO裁判報告………………………望月 彰さん |
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チェルノブイリ救援募金
1986年にチェルノブイリ事故が起きて、日本では’87年から被害に目が向き始めたが、事故から4年間は現地の情報が漏れなかった。それがゴルバチョフのペレストロイカ政策によって’89年暮れから汚染状況が流れるようになり、市民レベルの救援活動がスタートした。ボランティアグループ「チェルノブイリ救援募金」も’90年に立ち上げ、今年で12年目になる。翌’91年から「事故で放出された放射性核種の70%が降った」と言われるベラルーシ共和国を中心に20数回現地を訪れている。
汚染の現状
ベラルーシ共和国では総人口1200万人のうち今も200万人が汚染地域に住んでいる。’91年に最初に訪れた時にはチェチェルスクの町ではガイガーカウンター「たんぽぽ」が鳴りっぱなしという状況だった。それが地表の汚染値は10年目あたりから急速に減衰し、「汚染地域指定」も解除されてきている。しかし、じつは汚染は地中の数十cmのところに留まり、食物の汚染値はある時期からずっと横這いの状態になっている。そんな中での「汚染地域指定」の解除は住民に対する様々な「救済措置」の切り下げを意味する。ベラルーシは農業中心地が汚染されたので国内全土に汚染食品が流通しているが、ソホーズ、コルホーズだった地域では給料の支払いもままならない状況であり、汚染されていない食品を買う余裕はない。
核被害の影響
核被害というのは健康への影響だけではなく社会全体を疲弊させ、生活を根本から崩壊させてしまう。
人々は絶望的な状況を紛らわすレジャーがない中でウォッカを飲むしかなく、母親を含めアル中が増加し、離婚率も高まっている。
学校では放射線の影響のために子どもの視力、体力が低下し、45分授業は40分授業になった。
一般の民衆が情報を知ることができない状況の中で、事故が起きてまず逃げたのは政府の役人、医者、学校の先生だった。汚染地域では現在も学校の先生が不足している。
救援の方向
ドイツのグループは世界でも早くから活動していた。「チェルノブイリ救援募金」はその中のひとつの「ベルラド研究所」と手を組んで活動している。救援にあたっては「自立救済」を方針にしているが、ソ連邦崩壊以降、ベラルーシ経済は破綻し自立は困難になっている。現地にベビーミルクの工場を造ったりもしたが、経済破綻のために結局駄目になってしまった。
被曝問題を根本的に解決するには汚染地帯から移住するしかないのだが、大統領が替わってからベラルーシでは情報公開と移住の姿勢は後退してしまった。汚染地帯でいかに被曝を減らすかという支援のひとつが「ペクチンの投与」だ。リンゴの搾り滓が原料の「ペクチン」にはセシウムを体外に排泄する働きがあり、一つの学校に一回300ドル程度で行える。お金に限りがある中で救援活動も的を絞ってやっていく必要がある。
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東海地震の震源域という一番危険なところに建つこの浜岡原発は、じつは事故の見本市のように「日本で最初の事故」を繰り返し起こしてきた原発だ。このままだと「日本で最初の、地震によって原子炉が破壊される事故」を起こすことになる。
東海地震説を最初に唱えた石橋克彦氏は「原発震災」の危険性を指摘、前地震予知連会長の茂木氏も「常軌を逸した立地」と、地震学者からも浜岡原発に対する警告の声があがっているが、工学的な観点から見るとじつは浜岡1、2号は核暴走の危険性を持つ欠陥原子炉だ。これらはBWRの中で日本に10基ある「初期型」「旧型」と言われるタイプの炉で、地震が来ると燃料が揺れやすい欠陥を持つ。そして揺れると出力上昇を起こす。実際に87年に福島で、93年に女川で震度4程度の地震で出力上昇を起こし原子炉が緊急停止している。
出力が急上昇した時にもし制御棒の挿入に失敗すれば原子炉は核暴走にいたる。阪神大震災(マグニチュード7.2)の16倍のエネルギーのマグニチュード8.0以上と想定され、重力加速度を超える980ガル以上の振動が
襲いかかる中で制御棒は浮き上がり、将棋倒しになるだろう。設置許可申請では450ガル想定のこの原発に制御棒が入らなかったなら急速な出力上昇を抑える術はない。そうなれば、チェルノブイリ原発事故そのものの事態になる。
もし原子炉が緊急停止に成功したとしても、冷却系統が壊れればメルトダウンは避けられない。大地震が来れば津波の土石流によって取水口は埋まってしまうから、海水の取水が不可能になる。所内の水だけで冷却することになるが、ポンプは電動なので原子炉が停止している時の最後の頼りは非常用のディーゼル発電になる。しかしこれも大震災の中ではショートを起こして使えない確率が高い。
東海地震が実際に起きれば少なくとも浜岡1、2号は吹っ飛ぶと断定していいだろう。それを防ぐために色んな形でそういう内容を地元に伝え、本当に止めていく力を生んでいかなければならない。
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傍聴を重ねてきて、この裁判は国が事故の本当の責任を隠すために個人に責任を押しつけていると感じる。しかしこの裁判をマスコミも評論家も取り上げないのは非常に残念だ。現状では裁判中でありデータが限られているのでそれをもとにした推測で語ることしかできない。
裁判では、JCOの管理職4名と末端の担当者2名が起訴されている。
そもそも事故が起きてすぐ有馬科技庁長官がTVで「バケツでウランを取り扱うとは作業者のなんたるモラルハザードか」と発言したことによって事故は作業者の責任によって起きたという認識が広まってしまった。いまだに臨界はバケツの中で起きたと思ってる人もいる(しかし実際には臨界はバケツの中ではなく「沈殿槽」の中で起こった)。科技庁の事故調査本部は「作業者が上司の承認を得ないまま沈殿槽を使ったので事故になった」と報告した。水戸地検も同じ路線であって、裁判では横川氏の直接の上司でもない竹村主任が昼休みの立ち話で沈殿槽の使用を相談されたことを元に責任を負わされる形にされている。しかしそんな責任を負う必要など何もない。
この事故のもとになった動燃の発注は18.8%という濃縮度の高いウラン溶液を4リットルずつ(臨界にならないように)小分けにしたものをそれぞれ同じ濃度で40リットル(混合均一化)、というものだった。JCOでは10個の缶に手作業で均等に入れていくという方法をとろうとした。しかし厳密に分けることはうまくいかなかったので次に「貯塔」を使用した方法を取った。いわゆる裏マニュアルのやり方だが、裁判では前任者の長谷氏がこの方法で「うまくいった」と言っている。だが各報告書ではこの方法ではうまくいかなかったことが報告されている。裁判では「混合均一化」はあたかも簡単に出来ることであるかのようにサラリと流されてしまっているが、二つのやり方ではうまくいかず、沈殿槽を使うしか道は残されていなかったのではないだろうか。
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